【歴代最強ショート】史上初スイッチヒッタートリプルスリー「松井稼頭央」の野球人生

スポンサーリンク
OB

史上最強の1番打者、そして毎年OB達が「仮想ドラフト」を行う際には、必ず「ショートで指名」されるという最強の遊撃手。誰もが一目置いた選手、その名も松井稼頭央。

走ってはシーズン62盗塁、守っては内野安打は不可能と評され、投げては球速150キロに遠投120m越え。

そんな彼に対し、関係者は敬意を表して「野球サイボーグ」と呼びました。

そんな「ミスターレオ」こと松井稼頭央。彼の始まりから終わりまで、どれだけすごい成績を残し、野球界に衝撃を与えたか。その系譜を追ってみましょう。

スポンサーリンク

大阪の名門校PL学園でエースとして活躍した松井稼頭央

大阪で生まれた松井稼頭央選手は、幼稚園の時から野球の魅力に惹かれ、小学3年生から本格的にチームへ入団します。

投手として練習に励むも、激戦区の大阪だけに小学中学時代ともに全国大会への出場は果たせず。高校に入ったら絶対に甲子園行くと心に誓い、PL学園の門を叩きました。

当時のPL学園といえば、毎年のようにプロの世界へその選手を輩出する超名門校であり、松井の世代でも上級生には、元阪神の今岡選手や、阪神・日ハムで活躍した坪井選手など天才打者が並び、下級生には元ロッテのサブローこと大村三郎選手やあの清原越えの7球団が競合することになる、福留孝介選手など超一流選手の中に囲まれた高校時代でした。

しかしその中でも頭角を現し、1年からベンチ入りを果たすとチームは春のセンバツに出場。

松井選手は肘を痛めていましたが、痛み止めの注射を打ってマウンドに上がるも球が走らず3回途中2失点でマウンドを譲りました。

その後もケガとの闘いが続き、強者ぞろいのチームであったが甲子園出場はそれ以降叶いませんでした。

1992年 PL学園 松井和夫(稼頭央)投手(二年)西武・メッツ・ロッキーズ・アストロズ・楽天・西武

松井選手は当時のことを「試合より、怪我とどう戦ったかしか思い出せない」と語っており、高校時代にケガで出場機会に恵まれなかったことが、プロに入ってからは試合を休んでレギュラーを譲ってはいけないという教訓になったと言います。

1993年西武ライオンズにドラフト3位で入団

そんなケガの多い松井選手でしたが、ずば抜けた身体能力を買われ野手として西武にドラフト3位で指名される事となります。

そんな松井選手でしたが、プロ入りは自身を喪失することになります。

1年目は2軍からキャリアをスタートすることになり、イースタンリーグでは悪送球など24失策を記録してしまい、自慢の足もプロに入れば素人同然と言われ、特にスライディング技術習得に苦悩したと言います。

まず守備では名手小坂誠の動きを見て学び、同じチームメイトである奈良原浩の守備はため息が出るほどうまかったといい、グラブさばきから足の運び方を見て少しでも近づけるように真似をしたと言います。

打撃では非凡なものを持ってはいましたが、当時の打撃コーチを務めていた谷沢健一に「左で
振ったことがあるか?」と聞かれたことがきっかけで左打席の練習にも取り組むようになり、谷澤も

「思いつきではあったが、右打席で前のめりになる松井の打撃を見て、腕力のバランス
として左向きだった」

と話しており、松井選手も左での打ち方をみるみるうちに吸収し強打のスイッチヒッターの一歩となりました。

2年目の4月5日の近鉄戦に代打で出場し、初打席初ヒット初打点を記録してこの年は69試合出場ながら21盗塁を記録する。

刺された盗塁はわずかの「1」で、素人同然と言われた走塁を持ち前のセンスと、類まれな
努力で克服し、完全に自分のものにしたシーズンであった。

3年目、21歳のシーズンから全試合出場。不動のショートとなる

翌96年は開幕からショートのレギュラーをつかみ、全130試合にフル出場しリーグ2位の50盗塁に打率2割8分3厘を記録。

1996.4.18 近鉄vs西武4回戦 1/22

この年から不動のレギュラーとなり、メジャーに行くまでの2003年まで全試合出場することになります。

97年シーズンは前半戦から走りまくり、盗塁39に打率も3割1分8厘と絶好調でオールスターに選出されると、当時12球団ナンバーワンの盗塁阻止率を誇る古田敦也から、1試合4盗塁を決めMVPを獲得しまし。

1997年 プロ野球 サンヨーオールスターゲーム 第1戦 Part4

後半戦も調子を落とすことなく活躍し、自身初のシーズン打率3割越えを達成し盗塁数は62で初の盗塁王に輝きました。

翌98年も松井選手の勢いは止まらず、6月28日のダイエー戦ではパリーグ史上初の初回先頭打者ランニングホームランを記録し、猛打賞はシーズン21回、連続試合出塁は39、打率もチームで唯一3割台に乗せて2年連続の盗塁王に輝き、チームのリーグ優勝に大きく貢献すると、イチローとの競り合いを制してシーズンMVPを獲得しました。

2000年は両足を痛めながらも、全試合出場を果たします。この頃からクリーンアップを任されることもあり、松井選手もそれに応じて長打力を意識して練習に取り組むようになったと言います。

ウェイトトレーニングでパワーをつけていき、スイングも合わせる打撃からフルスイングへと変更していった結果、自身初の20本塁打越えを達成。

同年は、イチローが日本最終年であり松井選手がイチローに挨拶へ行くと「あとは稼頭央に任せた」といわれたと言います。

史上初!スイッチヒッターでトリプルスリー達成!

2002年はキャリアハイの記録を残します。

シーズン開幕から1番で起用されると、5月には2試合連続のサヨナラホームランを放ち、6月にはスイッチヒッターとして史上初の5試合連続ホームランを記録しました。

10月2日の近鉄戦で、プロ野球新記録のシーズン長打86を記録し、打率3割3分2厘36本塁打33盗塁、最多安打、ゴールデングラブ賞、ベストナインを受賞し、史上初のスイッチヒッターでトリプル
スリーを達成しました。

そのような大活躍でチームの優勝に貢献するも、日本シリーズでは巨人に4連敗で日本一を逃します。

そして2003年までの8年間、ショートでの全試合出場を果たし、7年連続の打率3割越えに9年連続の2ケタ盗塁、本塁打も2年連続30本越えでメジャーからも注目の選手となり、2003年オフにFA宣言を行い、ニューヨークメッツへと移籍することになります。

FAでメジャー挑戦。NYメッツへ

そして海を渡った1年目の開幕戦。

松井選手は打順1番でのメジャーデビューを果たすと、前年度に21勝を挙げた好投手オルティスから、メジャー史上初となる開幕戦新人の初打席初球ホームランを放ち、とんでもないインパクトを残します。

2004.4.6 開幕戦 松井稼頭央 MLB初打席初球先頭打者ホームラン

5月のダイヤモンドバックス戦では、ランディジョンソンからもホームランを打つなど、適所に活躍するも打率は2割5分前後と振るわず、6月25日のレッズ戦では西武時代から続いていた連続試合出場が1213試合でストップする事になりました。

その後は左足の負傷や腰痛なども重なり、打率2割7分2厘7本塁打14盗塁と松井選手にしてはやや物足りない成績に終わります。

そして西武時代からも守り続けているショートの守備では、日本の人工芝とメジャーの天然芝の違いなどに適応できず、失策数の多さが目立ち、最終3試合はプロ入り初のセカンドで出場しました。

ケガで苦しむメジャー2年目・3年目

心機一転気持ちを切り替えて迎えた2005年開幕戦。

松井選手は前年に引き続き、またもや初打席でホームランを放つ離れ業を披露することになります。

2年連続、開幕戦先頭打者ホームラン。まるで野球漫画ですね。

しかし、6月16日のアスレチックス戦でランナーと交錯して故障者リスト入りし、結果87試合の出場に留まり、前年の成績を下回ることとなります。

そして迎えた契約最終年の3年目のシーズンでは、オープン戦でひざを痛めてしまいマイナーで開幕を迎えることとなります。

3年連続の開幕初打席ホームランとはなりませんでしたが、メジャー昇格初戦となったパドレス戦でシーズン初打席をランニングホームランで飾り、メジャー史上4人目となる3年連続シーズン初打席本塁打を記録しました。

ロッキーズへ移籍

メジャーでも活躍した松井秀喜選手と名字が同じことからリトル松井と呼ばれていた松井選手。

「リトル松井はメジャーで通用しない」

そうアメリカから言われているような気がしたと松井選手は語っており、今までのプレースタイルではメジャーで通用しないと考えます。

「日本ではホームランも打てたがメジャーでは自分よりパワーのある選手はゴロゴロいる。それなら原点に戻って、本来の自分のプレイスタイルであるコンパクトな打撃に足を生かした野球をしよう」

と考え、そこから松井選手が復活するのに時間はかかりませんでした。

2007年シーズンは序盤腰痛で離脱し、チームも大きく負け越しをしていました。

松井選手は復帰後、持ち味を生かした打撃で2番に固定されると、シーズン終盤では1番セカンドに定着。

チームの14勝1敗という快進撃にトップバッターとして大きく貢献し、球団創設以来初となるワールドシリーズに出場。

相手チームのレッドソックスには元チームメートの松坂大輔が所属しており、第3戦では松坂からしっかりヒットを放って先輩の貫禄を見せました。

チームは第4戦で敗れるも、松井選手のシーズン成績は規定等席未到達ながらも打率2割8分8厘32盗塁と足を生かした活躍で、盗塁は失敗4と成功率.889を記録。少ない出場数ながらも「メジャートップクラスのセカンド」と評されました。

アストロズと3年18億円で契約、移籍

そのような活躍が評価され、2007年オフにアストロズと3年1650万ドル(18億強)で契約を交わ入団。

しかし現地メディアの反応はネガティブで、前所属ロッキーズの本拠地は、高地で気圧が低いため空気抵抗が少なく、結果として打球が伸びるため打者有利の球場とされていました。

そのためアストロズではメッツ時代のようになると期待されていませんでしたが、その評判を自らひっくり返す活躍を見せる事になります。

開幕は手術の影響で間に合いませんでしたが、復帰後は2番打者として起用されます。

するとチーム打撃は著しく上昇し、監督のセシル・クーパーも「松井が発起してチームに最高のスパークをもたらしてくれた」と語り、ホーム打率2割8分9厘アウェイ打率2割9分7厘と球場に関係なく成績を残し、前評判を一蹴しました。

病気や故障に苦しみ万全な状態ではありませんでしたが、打率2割9分3厘6本塁打20盗塁と、移籍後1年目はチームの起爆剤となりました。

翌年はメジャー最多の132試合に出場し、日米通算2000本安打を達成するも期待された数字は残せず、契約最終年となる2010年は出場機会に恵まれず解雇されることとなりました。

その後ロッキーズとマイナー契約を結ぶも、メジャー昇格することなくシーズンを終えます。

日本球界復帰へ。星野監督に口説き落とされ楽天イーグルスへ入団

そうしてFAとなった松井選手を、楽天の監督に就任した星野仙一監督が「一緒に歴史を作ろう」と口説き落とし、2010年11月25日東北楽天へと入団し、日本復帰となります。

迎えた楽天での1年目は、久しぶりの日本の野球に戸惑うもチーム3位の打率2割6分9本塁打15盗塁で試合数は139の出場をこなし、二塁打はリーグ1位の34本。

この時36歳であった松井選手でしたが身体能力は衰え知らずで、30メートル走では聖澤に次ぐチーム2位のタイムを出すなど現役ぷりを見せました。

2012年には楽天の2代目キャプテンに指名されます。

この年はけがの影響で離脱することもありましたが、シーズンサヨナラ安打を3回もやってのけるなど数字以上に存在感を見せつけました。

メジャー時代のBURNポーズで代表が盛り上がりを見せる

2013年は楽天に歴史が作られました。

開幕前にWBCの日本代表に選出されるもノーヒットに終わる松井選手。

しかし松井選手がメジャーで同僚に教えてもらったポーズ(BURNポーズ)が代表の間でも流行り、ヒットを打って塁に出た選手は揃ってベンチに向かって同様のポーズを行うのが恒例となり、何より選手がとても楽しそうでした。

オールスターではファン投票で遊撃手部分1位となり、選手間でも1位を獲得しました。

そしてこの年は、統一球の反発係数変更問題があったにもかかわらず、逆に前年を上回る11本塁打を放ち、まだまだ一線級でやれると存在感をアピールしました。

松井選手自身は打率や盗塁など好成績を収めることは出来ませんでしたが、キャプテンとしてチームを鼓舞し、優勝の一役を担ったアンドリュー・ジョーンズと、ケーシー・マギーの助っ人は松井のおかげで楽しくやれていると述べ、日本シリーズの移動日には松井の自宅を訪れホームパーティを開き、本当に良いチームメートに恵まれていると語りました。

そして田中将大の神がかった成績もあり、見事リーグ優勝を果たすと日本シリーズでは出場選手中最多の9安打を放ち、好守備なども見せてチームの日本一に大きく貢献することができました。

翌2014年は打率2割9分1厘と高打率を残すもチームは最下位となり、松井選手もこの成績を最後に下降をたどっていく事となります。

現役最終年となる2018年には古巣西武に復帰しコーチ兼任で現役にこだわるも、同年9月27日に現役引退の会見を開きました。

松井稼頭央選手からファンの皆さまへのご挨拶

 

引退セレモニーでは大勢のファンとともに過去の映像を振り返りながら背番号7との別れを惜しみました。

松井稼頭央選手 引退会見

まとめ

松井選手は常に挑戦し続けた野球人生でした

投手として始めた野球人生は、プロで野手としてスタートを切ることになりそこでスイッチヒッターに挑戦し、常に目の上のたんこぶだったイチローはメジャーに行き、松井選手が日本に残ればタイトル奪取は間違いありませんでした。

しかしそんなことはお構いなしにメジャー挑戦。

そして帰国後も優勝経験のない楽天へ進み、そこで外野守備にも挑戦しました。

40歳のシーズンでは、盗塁を14個決めるなど衰え知らずの強靭な体に状況に適用する精神力は私たちに勇気を与えました

現在は2軍監督で野球に恩返しをしている松井さん

トリプルスリーを達成できる選手育成に期待しましょう

コメント

タイトルとURLをコピーしました