【大金をドブに捨てたFA】全く活躍できなかったFA選手達4人をご紹介!!!

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FA

新天地での活躍という夢や希望を持ってFA移籍をする野球選手たち。

しかしその高額な年俸ゆえに、それに見合った活躍をしなければ移籍先のファンからは
袋叩きに遭ってしまうこともあります。

ということで今回はFA移籍後に、まったく活躍できなかった選手たちを紹介していきます。

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松坂大輔(メッツ→ソフトバンク)

平成の怪物松坂大輔は、西武在籍の8年間で108勝を挙げ、2006年オフにポスティングでメジャーに挑戦します。

当時最高額の移籍金60億円でレッドソックスが獲得し、この超大型契約は日米両メディアが注目しました。

メジャー1年目には15勝で200奪三振を上げると、ワールドシリーズでも勝ち星を挙げ、チームをワールドシリーズ優勝を果たします。

翌2年目にも18勝を挙げサイヤング賞で4位になるなど、メジャーの幸先は順調かに見えました。

MLB 2006 松坂大輔

しかし3年目のオープン戦にケガを負ってしまうと、このシーズンを境に度重なるけがで
調子を落としこれ以降2桁勝利をすることはありませんでした

メジャーで最後に所属したメッツの2010年は3勝3敗の成績で終えシーズン終了後にFAとなり日本に復帰することを決断します。

当時のインタビューでは

「先発にこだわらなければメジャーで移籍先が見つかるが、あくまで先発にこだわりたい」

と発言しており、これが日本球界復帰の最大の理由でした。

そんな松坂に手を上げたのは、横浜DeNAとソフトバンクで最終的にはソフトバンクと年俸4億円の3年契約を締結します。しかしここからが不幸の始まりでした。

2015年はオープン戦登板後にケガで離脱すると、このシーズンは手術などもあり1軍の試合に1度も出ることなく終わってしまいます

よく2016年も登板の機会はなかったもののシーズン最終戦の10月2日の楽天戦でようやく10年ぶりの日本のマウンドに上がります

この凱旋試合は工藤梨田両監督の計らいで、楽天の代打に松井稼頭央、ソフトバンクの捕手に細川と松坂の西武時代のチームメートたちを起用します

しかし、松井に初球からデッドボールを食らわし、1回5失点の大乱調で降板となってしまい、わずか39球で降板。これが最初で最後の登板となってしまいました。

20161002ソフトバンク松坂大輔今期初登板1回5失点全39球ノーカット平成の怪物はこのまま終わってしまうのか

このふがいない成績には、たった39球で12億円。1球で3000万円の給料泥棒だと猛バッシングを受けます。

また球団からはソフトバンクでコーチをしながら、現役を目指すオファーを受けましたが、あくまで
現役にこだわる松坂は、これを拒否したことでさらに批判は強まりました。

ただ松坂獲得の経緯は、ソフトバンクのフロント主導により行われたもの、で現場は投手陣が充実していたために、猛反対したとも言われています。

先発ローテにこだわる松坂にとっては、こうした雰囲気が居心地を悪くさせていたようです。

事実とあるテレビ番組で自分の人生の満足グラフを書いた時、メジャー2年目以降はずっとドン底を描いており、かなりの葛藤があったようです。

ソフトバンクの後、中日移籍を経て2020年から西武に復帰した松坂は、現時点で日米通算170勝を挙げています。

甲子園、日本シリーズ、WBC、ワールドシリーズをすべて制覇した唯一の男の最後は、どのような結末を迎えるのでしょうか。

森福 允彦(ソフトバンク→巨人)

社会人野球から、2006年のドラフトでソフトバンクから指名された森福は、入団後は1
軍と2軍を行き来した時期が続きましたが、2011年から1軍のセットアッパーとして
定着すると、この年60試合で登板するなど素晴らしい活躍でチームの優勝に貢献しまし
た。

特に中日との日本シリーズの第4戦では、6回1点リードのノーアウト満塁という絶体絶命のピンチで登場すると三振、レフトフライ、ショートゴロとわずか11球で無失点でしのぐという大活躍を見せ
ました。

この素晴らしい投球は後に森福の11球と呼ばれることになり、森福はピンチに強い満塁に強いという印象が広がりました。

日本シリーズ第4戦 無死満塁斬り 森福 魂の11球

ちなみに野球界には、「福盛の21球」というややこしいくらいに似ている言葉が存在します。

2009年のクライマックスシリーズ4点差で抑えとして登場した楽天福森は、日本ハム打線からあっさり1点を奪われると、最後は満塁ホームランで逆転されると言う、森福と福森の名前のように福森と森福で全く逆の結果になってしまった投球のことです。

福盛の21球 スレッジ逆転サヨナラ満塁弾 9回裏ハイライト

これらの言葉はよく似ておりますので両者が混同にご注意です。

また森福ですが、1球ごとの投球間隔が長すぎることでも有名です。

悪く言えばテンポが悪い、よく言えば優雅な投球スタイルでyoutube上でも森福が1球投げる間にできることという、素晴らしい動画が上がっいるのでぜひチェックしてみてください。

【8番勝負】森福が1球投げる間に出来る事

このように日本シリーズで大活躍した森福ですが、その後は徐々に出番を減らしていくことになり、
工藤監督の起用方法もセットアッパーから対左打者専用のワンポイントリリーフに変わっていきました。

しかし森福にとって、このワンポイント起用は不本意であり16年のオフに新天地を求めてFA宣言をします。

そこに手を上げたのは、巨人で長年活躍してきた山口鉄也の代わりになると判断し、3年総額4億円で契約をします。

しかしこの巨人移籍の選択が、森福にとって苦い思い出となってしまいます。

2017年開幕から中継ぎで7試合に登板するも、不調が続いたことで後半戦は2軍で過ごすことになります。そのファームでのカープとの優勝決定戦でも、対左のワンポイントリリーフで投入されるもわずか1球目で高卒1年目の坂倉にホームランを打たれ、巨人は優勝を逃してしまいます。

巨人 森福から値千金の一発!高卒ルーキー 坂倉将吾 逆転3ランホームラン 2017ファーム日本選手権

翌2年目も思ったような活躍ができずに、この年のオフの感謝祭では、森福のハイタッチの列には案が誰も並ばないという、少し可哀想な事態に陥ってしまいます。

契約最終年の3年目。この年の交流戦は巨人とソフトバンクで優勝を争っていました。

6月23日の直接対決では、両者譲らない緊迫した戦いが続き、6回表「2ー2」の2アウト満塁と非常に重要な場面で、原監督は満を持して森福を送ります。

期待に応えたい森福でしたが、このピンチでなんと満塁ホームランを食らってしまい、東京ドームは静まり返り、敗戦してしまいました。

このブースに献上した一発はネット上で、「ふるさと納税」と騒ぎ立てられ森福はこの年選曲体になってしまいました。

川崎憲次郎(ヤクルト→中日)

88年のドラフトで、ヤクルトの1位で入団した川崎は、2年目から先発ローテーションに
定着すると、98年には17勝を挙げ最多勝と沢村賞を獲得します。

ヤクルト在籍の12年間で88勝を挙げ、そのうち巨人戦が29勝という巨人キラーの異名を持っていました。

1999 川崎憲次郎 1

FA獲得の最終年の成績は8勝10敗で、当初はヤクルトへの残留を表明していました。

しかしヤクルトとの初交渉で年俸ダウンを提示されると、残留の意向を撤回しFA権を
行使します。

FA宣言をした川崎には、メジャー5球団からオファーが届き、中でもレッドソックスは2年契約年俸5億円という方条件を用意しており、気持ちはメジャーに傾いていたと言います。

そこに手を上げたのは、打倒巨人に燃える中日でした。球団社長が川崎に3度にわたって便箋合計40枚の手紙を送るなど、巨人キラーの川崎に猛烈なアタックを開始します。

また、星野監督も直接「お前が欲しい。巨人にだけは勝ってくれ」とお願いすると、巨人を倒すことに生きがいを感じていたという川崎にとって、この言葉が決め手となり年俸2億円の4年契約で中日移籍を決めました。

しかしここから苦悩の日々が続きました。1年目はオープン戦でケガをするとこの年1軍の登板は0。

チームも5位に低迷し、星野監督は解任になります。その後も故障に悩まされ、2年目3年目も一軍の出場は無しと3年間まったく出番がありませんでした。

そしてこの年のオールスターでは、川崎祭という事件が起きます。2chに川崎憲次郎をオールスターファン投票1位にしようというスレッドが立ち、年俸に見合わない成績の川崎を組織票で1位にするという呼びかけが始まります。

結果セリーグの先発部門で川崎は91万票を獲得し、2位の井川に約4万票差をつけて1位となります。

「情けない気持ち」中日投手が前代未聞の事態にため息 ルール改正にも発展、オールスターファン投票で起こった“川崎祭” (2020年7月25日) - エキサイトニュース
6月19日に開幕し、連日試合が行われている今シーズンのプロ野球。7月10日からは観客入場(上限5000人)が解禁されるなど、徐々に本来の形に戻りつつある。中止となってしまったが、この時期は例年オールス...

川崎は当初はこれが同情票だと思い、投票に感謝するコメントを残しましたがのちに晒し上げだと分かると辞退を発表しました。

この川崎祭をきっかけに、翌年以降は投票には事前登録が必要など、ネット投票の仕組みが整えられました。

契約最後の翌4年目は、この年就任した落合監督の計らいで開幕戦の登板を告げられます。

中日ドラゴンズGM 落合博満×森繁和 川崎投手を開幕投手にした話

当時の森ピッチングコーチは、後にも先にもピッチャーの采配に関して落合監督が指示したのはこの1回のみだったと言っています。

落合監督はその意図について、「3年ない投げていないピッチャーが開幕の時点でダメだったらもう無理だ」と最後の見極めの場だったと言っています。

こうした背景で、1274日ぶりに一軍のマウンドに上がった川崎は、必死な投球をするも2回途中で5失点を失いKOされてしまいます。

しかし、どんなに打たれても必死に立ち向かおうとする川崎の姿に、中日ナインは闘志をかき立て
られ、この試合を逆転勝利すると、この年はリーグ優勝を決めるというミラクルをやってのけました。

この伝説の年を最後に、川崎は現役を引退しました。

野口茂樹(中日→巨人)

92年のドラフトで中日から3位で指名を受けた野口は、入団後はコントロールに苦しむも、98年に宮田コーチの指導によりコントロールが飛躍的に改善し98年は14勝、翌99年には19勝を挙げるなど素晴らしい成績を残し、中日のエースの一角に成り上がります。

【中日ドラゴンズ左腕最高峰の鬼曲がるスライダー】野口茂樹

その後も先発のローテとして活躍しますが、2004年に落合監督が就任すると、出場機会が減っていき、2005年のオフにFA宣言をします。

実は、野口は入団4年目の1996年落合監督の現役時代に、デッドボールを与えておりこのケガの影響により落合の選手生命は終わりを告げることになりました。

1996 野口故意死球疑惑事件 落合の顔面へ一直線 中日 ドラゴンズ 巨人 ジャイアンツ

このデッドボールは当時の監督が指示による故意死球だったと語られており、この現役時代の確執により野口が干されたという説もありましたが、成績を見ると純粋に実力不足だったとも言えます。

そんな野口に手を上げたのは巨人で、2年契約年俸1億円で獲得します。

この移籍に対して巨人ファンは、「中日のエースを獲得できるなんて安い買い物だ」という意見と、「終わった選手をFAで取るなんてムダ遣い」という真っ二つの意見がありました。

一方の中日は、この野口の移籍にあたり人的補償で巨人の3番手キャッチャーであった小田幸平を獲得します。

中日の関係者は

まさか小田がプロテクトされてないとは思わなかった。小田クラスの新人を取るには1億円の契約金が必要

と発言しており、落合監督も「大儲けと言ってもいい」とコメントを残しています。

そしてその言葉通り小田は9年間、谷繁の控え捕手としてチームを支え、その明るい性格でチームに素晴らしい影響を与えました。

一方で野口は、巨人入団後の1年目は先発投手陣に加わることができず、1試合のみの登板で
終わります。

翌2007年は、リリーフとして登板しましたが夏場以降は打ち込まれることが多くなり、2008年に巨人から戦力外通告を受けています。

巨人退団後、野口はプロ復帰を目指し収入0で自主トレーニングをし、野球浪人の道を選び
ました。

しかしトライアウトを繰り返すも、どの球団からも声はかからず2011年の12球団合同トライアウトを最後に野球界を後にしています。

後に野口は、「戦力外通告から野球浪人の3年間で現役時代の貯金は尽きた」とコメントしており
1億円プレイヤーでも引退後は厳しい現実なんだと改めて思いました。

まとめ

今回はFA移籍後、不本意な成績で終わってしまった選手たちを紹介しました。

野手でFAで活躍した例はちらほらありますが、総じて活躍選手は少ない印象です。

近年は横浜ベイスターズから移籍した梶谷選手や井納選手が巨人へとFA移籍していますが、今後どうなっていくのか見届けたいと思います。

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